函館山

市電 十字街 徒歩10分

函館山 04/11/25
函館山 04/11/25
函館山 05/8/29
雪の函館夜景 04 2/6
イカ釣り漁船の漁火 05/8/29
 函館最大の名所がここといっても過言ではない。標高332メートルから望む夜景はナポリ、香港、函館と世界3大夜景に数えらる。昼間は函館市街を一望でき、晴れた日は下北半島を見ることも出来る。また展望台では夜景を見ながら食事を出来るレストランやお土産店もある。
 展望台まで行くロープウェイは約3分で展望台に到着する。運転間隔は10分置きで、夜景が良く見えるように夜間でも車内には照明がついていない。
津軽要塞跡
函館山は、明治35年〜昭和21年まで大日本帝国陸軍の要塞として一般人の立ち入りはおろか、写真撮影、写生まで禁止されていた。
 明治35年北海道の函館港及び函館湾守備を目的に函館要塞として完成した。昭和2年、名称を津軽要塞に変更し、津軽海峡も守備範囲になった。終戦後の昭和21年に一般公開されるようになった。
 現在でも数多くの軍事施設跡が登山道道中に残っており、戦争を現在に伝える遺産として平成13年「函館山と砲台跡」とし北海道遺産に登録された。

函館山とキタキツネ

函館山を登山して展望台に着いた時に、駐車場でキタキツネと出会いました。
あんまり函館山というか、函館でキタキツネがいるなんて思わなかったのでびっくりでした。これは野生のキタキツネなのでしょうか?
薬師山砲台 地下砲側庫
寒川集落跡
 寒川集落とは、明治20年ごろから昭和29年まで続いた集落である。住民は富山県からの移住者で主に魚猟をし、自給自足生活していた。場所的には函館山の真裏に位置している。そのため市街とは完全孤立した生活をしていた。
 この集落は、明治38年ころに28戸60名が生活していた。明治39年には幸尋常小学校特別教授所として学校も設立された。しかし、市内との生活とのギャップからか昭和13年ころから市内移住する者が増えた。学校も昭和18年に廃校となった。4〜5軒となった寒川に昭和29年9月洞爺丸台風が直撃し致命的な被害を与えた。そのため移住を余儀なくされ事実上寒川集落は終止符を打った。
 この集落への道のりはとても厳しく、函館山のうらの断崖絶壁の岩場を約1時間かけて行かなければならなかった。また、穴澗洞窟を渡る際晩年はつり橋が架かっていたが、それ以前は上下2本のロープしかかかっていない非常に厳しい環境であった。つり橋がかかてからも立地上幾度も橋が波に流される事もあった。そのような状況の道のりなので多くの人が道中波にさらわれ命を落としていたのも事実であるようだ。
 現在、当時集落を偲ばせる人工物は数えるほどしか残っていない。集落に行くまでのトンネル、つり橋。集落だった場所には石垣くらいしか確認できない。またトンネル、つり橋等のある場所は基本的に立ち入り禁止区域(ここを紹介している他のサイトでも同じ文句だが、行きたい人は自己責任で!現役時代多くの人が命を落としているのも事実です。)である。集落跡地には、函館山の鶯谷コース(マムシ、スズメバチ等出没地域で非常に危険)か、船で乗り付ける以外入る事ができない。究極の秘境地帯になっている。

穴澗吊橋付近の映像はこちら

千畳敷より
穴澗観測所(側遠機台)